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hide 公園はどう評価するのか? [建築・ランドスケープ]

最近の僕の興味ごとは、どのように公園や道といったパブリックオープンスペースを
評価するのかである。 

現在、スタジオで「中国のコレクティブランド」のリサーチをする傍ら
オープンスペース(公園、インフラ等々)がもたらす経済効果をリサーチしている。
経済的な側面からオープンスペースを評価することは重要に思えるからだ。

以下のサイトは公園を中心に評価、批評をしていて面白いです。

公園情報センターのランキング
http://www.kouen.info/
絶滅種の遊具などおもわず笑ってしまうものもあり。
コラムなどからは、公園の楽しみ方を知っている大人の方々なんだろうと感じました。
素敵です。

もうひとつ
PPS
http://www.pps.org/
ここは、パブリックスペースを評価し新たにつくりだすとうビジョンがあり
その意欲的な姿勢が素敵です。

どなたか、オープンスペース(公園、道路、自然等)に対してどう評価すべきかご意見
があればお気軽にかいてください。

今ロッテルダムのクンストハルではガウディー展が開かれている。
とっても見に行きたい。 週末にはきっと
僕がこちらに来てから、ダリ・OMA・H&D・フンデルトバッサー・そろそろ
ロッテルダムヴィエンナーレをみる機会があり、大変充実している。


akiko-いいやすみ。 [日々の生活]

はぁ。
いいお休みをおくりました。
今回。。。休みさいこー。
明日も休みのような気分。。。いかん。
友達と会ってなんでもないことを話すのがなんであんなに楽しいんだか。なぞ。
なにを話てたんだか。あんま覚えてもないようなたわいもないこと。
はぁ。幸せです。

so-netおもすぎです。
ひらけない。かきこめない。かなり待つ。
書き込む気もうせます。


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hide パーソナルスケープがもたらすもの [建築・ランドスケープ]

”個人(民間)のつくりだす風景”をもう一度見直すという事は
公共空間を考え直す重要なキーであると僕は思う。

東京では、総面積の半分以上を民有地が占め、うち7割程の土地が個人所有(3割が法人)。
これからも個人がつくり出している風景を無視できないと言える。

しかーし
東京都区部では、一日に500万人程の流入人口がある。
(これらの人口は、他の都道府県および東京区部外に住む人々をさす)
東京区部の人口が約800万人程。
こういった地域に根ざす人々以外の作り出す風景にも目を向けるべきなのかもしれない。
彼らはテンポラリーに滞在する人々だが、個人と言う時間をもつ人なのだから。
もしかしたら、公共の空間のユーザーは地域の人々でなくこういった人々に必要とされている
のかもしれない。

データーばかりで、話を進めるのはあまり好きではない。
しかし、公共空間が面白くない分、もしくは公共空間が新たに生まれる可能性が少ない現状に
対しての反発としてパーソナルスケープが注目されていく(勝手な印象ですが)のも腑に落ちない。

といっても僕は今東京に住んでいないし、横浜(並木3丁目)が実家である。
日本に帰ったら、民間のつくりだす空間を注意深く見てみたいと思う今日このごろ。


hide みち  [建築・ランドスケープ]

「点と線の場所の反転」みたいな事がおこったら楽しいかもね。
スケールや距離によっても両者へのアプローチは変わるのだろう。

うらにわと路地
市民公園と歩道

みちの空間はもっと面白くなれるところで、公共の空間から見落とされた場所のひとつであると思う。

またストックホルムの話なのですが、A+u(414号)でも特集されたスェーデンアーキテクトの
ラルフ・アースキンのてがけたストックホルム大学の建物を見みてきた。
彼は、個人の視点にたった空間づくりを大事にしているようだ(A+uでもそのあたりを語っている)。

建物内の吹き抜け(エントランスホール)にある階段は、2人が通り過ぎるには狭い。
あえて人がすれ違うときに「ゆずりあい」といコミュニケーションが生まれる。
それをラウンジから他の人が見ている。とても人間味にあふれた空間ですがすがしかった。

実は彼のそういった空間に対する姿勢は、スェーデン人がもつ「思いやり」からきているのだろうと思う。(彼はイギリス人)
街にある桟橋の歩道・車道も、彼の建物同様にせまい。
車に関しては、相手が通り抜けるまで反対側で停車してまっている。
狭いにもかかわらず、桟橋でつりをしているおじさんもいる。
でもなんだか「おじさん何のさかな釣っているの?」と聞きたくなるような気分にさせる。

ストックホルムという都市の心地よさがそうさせるのか、旅行者というリラックスした気分が
それらの空間を美化してしまっているのかもしれない。でも 僕にはとても真新しく感じた。

狭いことの美。 
みちという公共。 
個人と個人がすれ違うみち。

道も立派な公共空間である。これから、みちを個人と言うレベルで考え直してみるとおもしろくなるのかもしれない。


akiko-ひつような公園 ふひつような公園 →hide [日々の生活]


うーん。
ひつよう、不必要とはちがうかもしれないが、私の話は点と線。
話が違っても怒るなかれhideさん。(笑)

右の写真は、一般的な日本の公園の図。(砧公園)
左の写真は、公園に行くまでの道の図。(甍道)

公園ってなに?公園の機能ってなんだ?と思えると思う。
砧公園は遠くの人たちが集まって来ていて、なくなっても違う公園にいくだろう。
犬の散歩の人たちはたくさんいた。でも、車に乗って来ている犬もいた。
甍道は、近所の人や駅に行く人が利用している。
なくなってしまったら、日常から「あそび」がなくなってしまいそう。

という意味では、私は甍道の方が必要にみえる。
でも、両方あって機能していると言うのが現状。
あまり利用されていない公園は、そのものを作り変えるよりもまわりの状況をよみこんで
点と線のつくりかえを行うことが公園の為じゃないかなー。
「ひつようとふひつよう」を考える前に「もっと」をするためにはどうしたらいいか?
が大切なんじゃないかなぁ。


hide ひつような公園 ふひつような公園 [日々の生活]

昨日スタジオ中国のコレクティブランドのリサーチ)のミーティングで、
「あまり使用されていない公園を浮浪者や上京者の為の場所として開放しよう」
と友人が発言していた。
いかにして、彼女が公園を機能不全だと評価したのかには疑問が残るが
非常に重要なトピックであるように僕には思えた。

浮浪者を退けば、パブリックという意味を失う
浮浪者が占拠する事になれば、パブリックという場所を失う

浮浪者がいいか悪いかは別とし、ある一定の人に使われる事を忌み嫌う。
パブリックスペースというものに対し、再考を促すトピックのようにも思える。

そういった、ダメ公園の評価方法をつくることも必要だが、いかに既存の公園をアップデート・マネージメントするのかに僕は興味を持っている。
そこで ひとつよい例。
アムステルダムのダム広場の例です。
移動遊園地が来ることで、賑わいと経済効果を生み出している。

どう公園を評価するべきがご意見があるかた、どしどし
あと どうマネージメントするかにも意見がございましたら どしどしどしと

ちなみに僕は最近運動不足のため、ストックホルム旅行では歩きすぎて足をつりました。
akikoさん帰ったらハイキングに行きましょう。
(バッティングセンターもあり。でもまずは軽い運動から)
テーマは「東京の田舎」で。


akiko-松坂のピッチング [日々の生活]

昨日は久々に大学院の友達と飲んで来た。
そして、バッティングセンターに行って来た。
バッティングセンター最高。

松坂の球をうってきましたよ。
70kmだけど。。。
松坂なのに70kmかよっ。
って、みんなでつっこんでました。

ひそかにたっぷり野球好きなのでした。

いつか、145kmがうてるようになるのです。
がんばりましょ。

横浜の浜ボウルのキティーちゃんバッティングもおすすめです。
キティーちゃんの投げた後のポーズ意味不明です。


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hide3 [日々の生活]

僕がブログに入ってから書きまくっている気がする。

akikoさんのブログなのにひどい、のっとりだ。」「お前はlivedoorかー」という声が聞こえてきそう

だ。

しかし、書いてしまおう。

ストックホルム

ストックホルムは、14のアーキペラゴ(群島)からなる街で市の面積の13%が水だそうだ
(JTB わーるどがいどより)。

街はその美しい町並みに加え、川が自然の風を運んでくれる為に非常に気持ちがよい。

東京にいるときには、ビル風や地下鉄の入り口付近で猛烈な風をあび、いやな思いをすることが

多い。 東京ではあまり気持ちい風を感じれる場所はあまりない。(あればぜひ教えてください!)

気持ちのいい水辺では、おのずと人が集り会話が生まれる。 水の流れるメカニズムと人の集る

メカニズムには共鳴するものがあるのだ。去年度のスタジオでもその点に着目したプロジェクトをお

こなった。 機会があればこれもまた詳しく。

去年は、akikoさんも参加した東京キャナルでも水辺がクローズアップされていたようだ。

講演会に参加した時に、塚本さんが「ヨーロッパの人々の水辺の使い方が参考になる(確か)」と語

っていたが、はたして東京でそれを感じれる場所がどこにあるだろうか?

またそれを日常で感じれる人はどのくらいいるのだろうか?

その点で、東京キャナルは非常に重要な問題提起をしたように思える。

ただ、残念なことにプロジェクトの提案者には、水辺のここちよさを知っている人はいなかったよう

だ。物理的な操作とプログラムに終始しているものばかり。もしくは、エイドリアンに翻弄されてしま

っていたように思える。

と話はそれてしまったが、ストックホルムは建築インテリアに限らず都市そのものが、間もなく再

びクローズアップされる事だろう。そろそろIKEAも開店するしこの読みは間違いないと思う。

機会があれば、IKEA建築論も書きたいと思う今日この頃。 

また長々と書いてしまった。 さて今日はたまった洗濯物をかたずけなければ。



hide 2 [日々の生活]

<森の火葬場>
僕の見た中でも、とびっきり余白の使い方がうまい作品だった気がする。

ここの余白の空間は、死者に対するモニュメンタルな場所という訳ではなく、

生きる者の為に造られた空間に思えた。

死者を見送る空間・死者と再会する空間・来た道を振り返る空間・街を眺める空間、そのどれもが

私たちが受動的でなく、能動的なときにはじめて意味をもってくる様に思う。

墓であることを忘れるほど美しく、心地よい場所だった。

他にも火葬場にいかれた方がいらっしゃれば、感想を聞かせてください。

僕が行ったときはTB○の「世界遺○」という番組の収録中だった。

おかげで普段公開していない場所まで見れました。

TB○さんに感謝しております。

<ゆうじんのみなさまへ>

ゆずる、ようこ、きんちゃんどうもご無沙汰しております。

帰ったらまた会いましょう。

ゆずるは、確か広告代理店に就職したんだよね?

そういった業界から見た、空間の価値、評価はどういったものなんでしょうか?

思いつくことであれば何でも書き込んでください。


hide ロッテルダム・祭 [建築・ランドスケープ]

今日、ストックホルムから帰ってきました。

街につくとロッテルダム中がパーティー会場と化していたのに驚く。

なぜなら、今日(4月30日)が、Queen's Dayなためだ。

街中のありとあらゆるところにステージが設けられ、歌えおどれの大祭り。

ロッテルダムは、オランダの中でもイヴェントシティーとして位置づけられている。

何かイヴェントがあるごとに、街の中心街の道路やトラム路線は封鎖され、そのスペ

ースは祭りの会場と化す。

2004年度のカーニバルでは、交差点にステージを設置していた。

これををみてなるほどと思った。

なぜなら、交差点は道路の中でも一番広い場所である為に、ライブに適した場所となるからだ。

オランダ人のイヴェント好きには「頭がおかしいのでは」と思ってしまう時もあるが、スペースのオー

ガナイズ力(使い方)という点では大いに学ぶことはある。

オランダでにきて都市計画というプラクティカルなお勉強よりも、場所・ものの使い方を体験を通し

学んでいる事のほうが自分にとって大きい。

そういえば、あまり関係がないが郷ひろみが以前渋谷でゲリラライブをして警察沙汰になっていたの

を思い出した。


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